日本の歴史・伝統文化など「日本人の誇り」を甦らせる書籍の出版をしています

『もう子育てでは悩まない この一冊で育児は完結する』まえがき

田下昌明

初めての育児は練習なしで、いきなり本番がやってくるので、育児のすべてを最初から自信をもってできる親はいません。若い両親が困ったり迷ったりするのは、ごく当たり前のことです。だから世界の多くの地域では、家族ばかりではなく近所の人などが力を合わせて子育てを支援しているし、ついこの間まで日本人もそのようにしていました。そしてそこには大きな柱が一本立っていたのです。それは日本人の歴史、伝統、文化に対する自信と誇り、つまり育児方法の共通指針です。

私は旭川市に住む一小児科医です。医師になってから平成29年で50年になりますが、これまで、延べでおよそ50万人の子供たちと接してきました。そしてその間、子供がむずがったら服を脱がせることさえできなくなる母親や、母子関係が希薄になってきたこと、将来に夢を持たない青少年が多くなったこと、ニートやパラサイトといわれる無気力な青年が発生してきたことなどを、診察室の中で実感してきました。

青少年のこのような問題は、戦後の育児の仕方があやふやになって、それまでの日本の育児方法のいいところが消えてしまったせいなのですが、では何故そうなったのかというと、戦後の日本に対する占領政策が育児方法の共通指針を失わせることを目的としていたからです。だから祖父母は育児の場から去っていってしまったのです。

皆さんは「家つき、カーつき、ババ抜き」という言葉をご存知ですか。これは昭和30年代に流行した言葉ですが、「お嫁にいくなら、家を持っていて、マイカーがあって、お姑さんのいない人のところへいくのが理想的だ」という意味です。

高度経済成長がようやく軌道に乗ってきた昭和40年頃から、私たちの生活は豊かになり始め、それまでは夢物語でしかなかった、若者がクルマを乗りまわすことができる時代になってきました。またこの頃から都会に若者が集中するようになり、その若者どうしが結婚して、いわゆる核家族というものが出現しました。

経済的に豊かになったのだから、「家つき、カーつき」まではよかったのですが、ババを抜いてしまったのは、今になってみると手痛い失敗でした。というのは、結婚すればそのあとすぐに育児という大仕事が待ちかまえているのですが、その育児についての生き字引きが、実はババだからです。

育児とは―、ひとことで言えば、共通指針にしたがって子供に日本人としての誇りと生活の知恵を教えることです。ところがババを抜いてしまったために、この大切なことが途切れ途切れにしか伝えられなくなってしまいました。

現在の祖母たちの大半はババ抜き育児で育った人たちです。とは言っても経験は豊富だし、さらに曽祖母(ひいおばあちゃん)もまだ多数健在です。育児のことで困ったら、おばあちゃん、ひいおばあちゃんに相談しましょう。きっといい知恵を授けてくれます。そのためにはおばあちゃん、おじいちゃん、ひいおばあちゃんに、もう一度育児の場に戻って来てもらわなくてはなりません。そこへ曽祖父(ひいおじいちゃん)が加わってくれれば、さらに強力です。

よく「子供が成人したので育児は終わった」と言う人がいますが、そうではありません。「育児は孫まで」です。自分が子供に教えたことが、ちゃんと孫に伝えられているかを確認するところまでが、おじいちゃん、おばあちゃんの責任範囲。孫は自分の子育ての成績通知票なのですから。

そうして、つい半世紀前まで残っていた日本人の育児方法、たとえば夫婦仲良く、抱っこ、おんぶ、添い寝…など、どれも当たり前のことなのですが、それらが自信をもってなされていない現状から、私たちは早く抜け出そうではありませんか。

もう子育てでは悩まない この1冊で育児は完結する本書にはこれからお母さんになる人の「母親としての心の持ちよう」を念頭において、母性というものは女性に先天的に備わっているのではなく、子の胎児期、出生時、新生児期から幼児期への発育発達と同時並行で母性が発生発達していく、その仕組と様子が書かれています。

妊娠、出産、育児という一連の仕事は、日本の将来の根幹を育成することです。したがって、それらを実践している女性は社会から称賛され、感謝と尊敬の念で見守られなければなりません。母性を超える愛はないのです。

私たちにとってかけがえのない大切な日本の将来を担ってもらう子供たちを、自信と誇りをもって育てていきましょう。

もう子育てでは悩まない この一冊で育児は完結する