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学問的でありながら、敬愛の念感じる一冊

学問的でありながら、敬愛の念感じる一冊

松浦光修  皇學館大学教授

明治天皇は、国史上、空前の過酷な国際環境のなか、常に国民の先頭にお立ちになり、世界史上に燦然たる光を放つ時代を現出され、明治四十五年(一九一二)七月三十日に崩御された。今年はその百年祭の年にあたる。戦後教育に毒された現代人でさへ、さすがにそのお名前を知らぬ者はゐまいが、意外なことに現代の一般向けの書籍で、時々の明治天皇の大御心を拝察しつつ、その偉大なる御生涯を明らかにしたものは、これまでほとんどなかった。

本書は、明治天皇の残された「詔勅」と「御製」を丹念にたどりつつ、いはば“大帝の大帝たる所以”を明らかにしたもので、その点、劃期的な著作といへる。

章立ては、以下のとほりである。
「第一章 明治天皇と六大巡幸」「第二章 大日本帝国憲法と明治天皇」「第三章 教育勅語と明治天皇」「第四章 日清・日露戦争と明治天皇」「第五章 明治の外交と領土問題」「第六章 明治天皇と明治の祭祀」「終章 明治の終焉」。

著者の勝岡氏は、『抹殺された大東亜戦争』の大著で知られる篤学の人であり、また、日本人らしい「敬神尊皇」の心を併せ持つ人でもある。たとひ神々や皇室を論じたものであっても、今時は、その行間に著者の暗い反日の情念が噴出してゐる悪書が少なくない。しかし、それらに反して、本書の行間には、明治天皇への清らかな敬愛の念が揺曳してゐる。安心して読むことができ、また読んでゐて心地がよい。

むろん、『韓国・中国「歴史教科書」を徹底批判する』の著者で、学問的義気に満ちた勝岡氏のことであるから、明治天皇を貶める邪説には、本書でも厳しい批判を加へてゐる。その邪説とは、たとへば、明治天皇は、「祭祀に熱心であったわけではない」(笠原英彦『明治天皇』中公新書)、「宮中祭祀そのものを『創られた伝統』と見なしていた」(原武史『昭和天皇』岩波新書)などといふ類のものである。これらの邪説が、大手出版社の「新書」といふかたちで、世間に流布してゐるのを、著者は決して看過しない。そして、きはめて冷静、かつ実証的な手法で、それらの邪説を徹底的に粉砕してゐる。

本書を読みすすめていくうちに、フト……気づくと読者は、いつしか明治天皇の聖徳を、心からお慕ひしてゐる自分の心に気づくであらう。まさに百年祭を記念するにふさはしい著作といへる。ともあれ私どもは、やうやく本書によって、学問的でありながら、しかも、きはめてわかりやすいかたちで、明治天皇の聖徳を偲ぶことが可能になった。そのことを、私は著者に対して、素直に感謝したいと思ふ。

※「神社新報」平成24年9月3日

『明治の御代―御製とお言葉から見えてくるもの』