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二千年の真姿を明らかにするために

二千年の真姿を明らかにするために

名越二荒之助

なぜこんな本になったか

本書が完成に近づくと、私の周囲で声が聞こえる。
「どうしてこんな大きな本を書いたのか。分厚過ぎて、持ち運びも不便だし‥‥」

このことは、私が一番よく知っている。出版社としても迷惑だろう。それを充分承知しながら、ここ2、3年猛進するように取り組んだ。
昭和42年(1967)、最初に訪韓した時から、30年間にわたって集めた資料や、韓国への思いが、ここに来て一挙に噴出した。なぜ30年間にもわたって韓国への関心を持ち続けたのか。
「そこに韓国があるからだ」と、山登りに譬えたのでは、解答にならない。やはり韓国の魅力なのである。韓国ぐらい面白くて興味と関心を呼ぶ題材はないではないか。両国交流の歴史は古く、その間に誤解や無知や愛憎のしがらみが重なってきた。
日米戦争(大東亜戦争/太平洋戦争)などは単純だが、相手が韓国(一部、中国も含む)となると、一筋縄ではゆかない。それだけに情熱を覚えるのである。

韓国をよく知っている人の中には、「時期がくるまで、ほっておくよりほかはない」という人がある。ほっておいたのでは、韓国の攻勢と日本の守勢という惰性が続くだけではないか。それに私の寿命には限りがあって、待っているわけにはゆかない。
だから本書は、日韓関係に託する私の遺書でもある。書きながら、そんな思いが去来してならなかった。

 

両国国歌の合唱-平林・金研修会

私はよく海外旅行をするが、一番複雑なドラマ性を持っている国は、イスラエルと韓国だ。
イスラエルにはユダヤ5千年の苦難の歴史がある。踏み込んだら病みつきになるが、射程距離が遠すぎる。日本との関係も韓国とは較べものにならない。やはり韓国だ。それに北には、「朝鮮民主主義人民共和国」という不可解な国がある。

私は「韓国病」と揶揄されながら、昭和50年代からは、毎年のようにゼミ学生を連れて訪問した。その間、韓国で何人かの知己を得た。
本書を刊行するに当って、それら韓国の知己との共著という形をとりたかった。本書の姉妹編ともいうべき『台湾と日本・交流秘話』(展転社)の場合は、多くの台湾側の協力を得た。しかし韓国ではそれが期待できず、私の知己は次々に他界してしまった。

そんなことを考えていた時、韓国人の金乙成氏(1935年生まれ)を知った。
氏は韓国で生まれ学業を終えると海運会社に勤めた。それだけに国際問題にも明るい。船舶の機関長をやっている時に身体を悪くし、日本で過すようになった。

その間、金氏はある研修会に参加した。指導者は東京の平林幹雄氏であった。金氏は平林氏の人徳に触れ、すっかり傾倒するようになった。
やがて金氏は帰国すると韓国でも研修会を始めた。研修会を進めても、日本的な考え方のためか、なかなか軌道に乗らなかった。
平林氏はたびたび指導に出かけた。韓国人が対象だから通訳がいる。通訳は金氏が当たった。

いよいよ研修の最終日になった。金氏は平林氏にせがんだ。
「平林先生、今日で最後ですから、何か日本の歌を聞かせてください」
平林氏はやおら立って、
「私は国歌『君が代』と、『海ゆかば』しか歌えないから、それをやる」 と前置きして、「君が代」を歌った。すると韓国側は、かえしとして韓国の国歌を歌った。

韓国の国歌は4番まであるが、その1番は、「東海の水枯れ、聳(そび)ゆる白頭山すり減るとも、神護り給いて万歳、無窮花(むくげ)の咲く美しい江山、大韓人、長久(とわ)に栄えむ」である。
「君が代」は、日本の国柄が、「さざれ石の巌となりて苔のむすまで」永遠に続きますようにと祈る歌である。韓国歌も、「東海の水枯れ、聳(そび)ゆる白頭山すり減るとも」祖国の長久を神に祈る歌である。闘争歌めいた国歌が多い中にあって、日韓両国の国歌はともに、国の長久を祈る歌なのである。

国際会議などでは、冒頭、両国国歌を歌う例はあるが、儀式的な傾向か強い。その中にあって、「平林・金研修会」では、実感をともなった両国国歌の交歓となった。それ以来、韓国における金乙成氏の活動は開けてきた。
平林氏は言う。
「日本人が韓国国歌を歌い、韓国人が日本の国歌を歌うようになったら、両国の心の結びつきはより緊密になるのだが‥」と。