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明治維新を担った天皇・志士達の魂の言葉に耳を傾けよう!

多久善郎

大業を為し遂げ歴史を織り成す原動力は、それを担う人物の志と情念の高さに由来する。その意味で、明治維新を為し遂げた人々の残した和歌を学ぶ事は歴史の本質に迫る事になる。
明治維新百五十年に当り、それらの和歌を一冊に纏め、平成の次の御代にも語り伝える意味でこの和歌集を編纂した。

 

孝明天皇の御述懐の御製百三十五首を紹介

平成の御代が今上陛下の大御心に導かれて歩んで来た様に、わが国の歴史、特に激動の時代に天皇様の大御心が国民に与えた影響はとても大きいものであった。歴史家の徳富蘇峰が「維新の大業を立派に完成した其力は、孝明天皇である。」と断言した様に、幕末維新史に於ける孝明天皇の役割は極めて大きい。天皇は在位された二十一年間、常にわが国の独立と統合とを祈り続けられて居た。それは、天皇が遺された八千首を超える和歌に如実に示されている。

◯述懐〈安政五年七月十一日・神宮法楽〉
神慮(かみごころ)いかにあらんと位(くらい)やま おろか成(なる)身の居(おる)もくるしき

幕府が天皇の御意向を無視して、日米修好通商条約を締結した当時の悲しみの歌である。

○社頭祝世〈文久三年四月十六日・神宮法楽〉
異人(ことびと)の患(うれ)ひを払ひ世中(よのなか)の 縺(もつれ)なくとぞいのる神がき

「独立」と「統合」を望まれる天皇の大御心を拝する事の出来る歌である。

又「此花祈集(しかきしゅう)」という、文久三年五月二日から元治元年七月廿二日迄の五百日に亘る和歌があり、その最後に

「此の一冊は、此花(しか)(孝明天皇の御雅号)一身の望願(ぼうがん)之れ有り、五百日の間、聖廟に向ひ奉り、日に三度懇ろに祈る法楽歌(ほうらくか)記(しるす)なり、尤も予独り祈る、秘々、他見を禁ず可き者也。」

と記されている。天皇にとって和歌は祈りであった。

この本では、平成二年に平安神宮から発刊された『孝明天皇御製集』(八千二百五十首)も参照し、天皇の、時代に対する御心情を伺う事が出来る和歌を謹撰させて戴いた。昭和時代に出版された御製の書物より更に大御心に迫る事が出来たと自負している。

 

代表的な八人の志士に学ぶ「維新のこころ」

第二部では、幕末の志士の中で歌人としても歴史的に評価の高い八人を選んで、其々百首程度を紹介した。

吉田松陰については、全集に掲載されている和歌の総てを時系列で掲載した。松陰の激しくも優しい心の様が染み渡って来る。

常陸出身で大坂の坐摩神社神主となった佐久良東雄の歌は、尊皇精神漲る格調の高い歌が多く、現代に生きる我々に日本人は如何にあるべきかを教えてくれる。

薩摩の有馬新七は安政戊午の密勅降下に携わり、緊張感の漂う中で江戸と京都を行き来した歌日記「都日記」の歌を中心に紹介した。

大和の伴林光平は国学者・歌人としても名高かったが、最後は大和義挙に加わり行動家として生涯を閉じた。
「我胸のもゆる思(おもい)にくらぶれば煙はうすし桜島山」の歌で有名な福岡藩の平野国臣、投獄されて紙筆が無い中でも紙縒(こよ)りを使って歌を詠み残している。光平や国臣の志高い歌を時系列で紹介した。

志士達を助け続け、自らも姫島に流されるなど苦難の中で生きた福岡の野村望東尼の歌からは、当時の女性の高く清らかな心を学んで欲しい。

「独楽吟」で有名な越前の橘曙覧は、松平春嶽公が師事した国学者である。日常詠から憂国詠まで実に幅広い歌を心豊かに詠んでいる。

「七卿落ち」で山口や太宰府で不遇の生活を送った三条実美の当時の詠草には、苦難の中に在っても尊皇心に溢れ決して希望を失わない日本人らしい美しい精神が詠み込まれている。

更に第三部では、幕末史を辿りながら様々な事件に携わった人物四百人の和歌六百六十首を紹介し、明治維新を為し遂げた様々な人々の思いに触れる事が出来る歌集事典となっている。尚、全編に亘って歌に「るび」を多く付けているのもこの歌集の特徴である。

一家に一冊、是非備えて戴き、次の世代に「維新のこころ」を伝える必携書として欲しい。

維新のこころ 孝明天皇と志士たちの歌