―なるほど、面白いですね。
この本の最後は、「心ある米国国民諸兄、一人の<陪審員>になったと仮定して、本件を公正中立な立場で再審理して頂きたく、衷心より要望する」と結ばれています。米国民のフェアプレー精神に信頼して再審を求めている点に特徴があると思いました。
大原 しかし、このような手法は、どこの国でも通用するわけではありません。それ受け入れる上限がある国でないと無理なんです。
その条件というのは、まず、言論の自由が保証されていること。そして、実証的な学問研究が尊重されていること。それから民主的司法手続、すなわち司法権の独立だとか、罪刑法定主義ないし法の適正な支配だとか、あるいは証拠裁判主義が確立している、そういう国でないと通用しません。そうすると当面の対象は欧米諸国でしょう。
我々は、そのような条件の備わっていない中国などの東アジアの国々は、初めから対象にしていません。歴史を学問でなく、政治で裁断することが当り前のような国を相手に、この本を持って論じたとしても徒労に終わることは間違いない。
もうずいぶん前の話になりますが、村松剛先生たちが中国を訪問したきに、向こうの人たちと会って、「南京大虐殺については日本側にも色々と反論があるから、両国の学者が実証的に研究して結論を出したらどうか」と提案したら、中国側は「いや、あれは三十万人ということで決まっています」と断言したとのこと。実証なんてことは必要ない、政治的に決まった数は動かせない、ということですね。
ですから、実証的な学問研究を重んじる先進欧米諸国を専ら対象としてこの本は書かれた。
たしかに、「南京大虐殺はあった」ということが定説化しつつある中で、「そんなことはなかった」と必死で論陣を張っても、この趨勢を一挙に逆転することは難しいかもしれない。
しかし、アイリス・チャンなどが言っていることは、ちょっとおかしいのではないか、これを機会に本格的に検証し直してみようか、とかいった気運が出てくれば成功だと私は思っている。そのような気運が欧米諸国の中に広がっていくならば、そこで始めて国際的な実証研究の土壌ができてくる。その受け皿となるのが「日本『南京』学会」でしょう。
大原 この本では、中国政府の最新の南京大虐殺論である『中国版 対日戦争史録』(中国国際戦略研究基金編纂、1995)所収の「日本軍の南京攻略・占領と大虐殺」を「起訴状」として取り上げました。
この「起訴状」を「四つの主張」と「十の争点」に整理して、逐一反論していったのが、“世紀の冤罪”を晴らそうとする以下の弁論です。
反論の中身は本をお読みください。結論を言えば、南京大虐殺は、「死体なき殺人事件」プラス「動機なき殺人事件」である、ということがおわかり頂けると思います。
―読んでみて、非常にコンパクトにまとまっていて、この問題を始めて勉強しようという人にも最適だ、という感じを受けました。
大原 出来るだけ多くの図やチャートをつけて、視覚的にも理解できるような工夫をしました。このようにしてこれまでの<南京大虐殺>の専門家の方々の先駆的な業績を参照しながら、事件を再構成したものです。
―英語版があるというのは、日本人にとっても心強いと思います。「これで戦えるぞ」という気持ちにさせてくれる。
大原 アメリカのみならず世界で活躍している日本人ビジネスマンや留学生たちの役に立ってくれたら本当に嬉しい。
英語で書いてあるから、「これを読んでくれ」でもいい。また、自分で説明する時の参考書としても役立つと思います。
当初、この本をアメリカで出版することも考えましたが、引き受けてくれる出版社がないということで諦めました。
日本では東京裁判史観の批判はとっくに市民権を得ていますが、アメリカではそうではありません。あの裁判が国際法上重大な問題があるという批判はあっても、そこで示された歴史認識や、描きだされた日本軍の残虐性というものは肯定されており、そのシンボルたる<南京大虐殺>が「なかった」と主張する本などもってのほかなのです。ですから、まず日英バイリンガルとして国内で出版し、国内の反響をバネとして海外へも広げていくことを狙った。だから、国内でもできるだけ多く読まれてほしい。インターネットを通しての購入もできるわけですから。
―反撃の最初の狼煙(のろし)があがったわけですね。今後の内外の反応に注目していきたいと思います。
【日英バイリンガル】再審「南京大虐殺」-世界に訴える日本の冤罪 |