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台湾独立の胎動(5)

二世、三世の日・台交流

士林会という団体がある。士林国民小学の元教員らによる組織で、日本人も台湾人も参加している。1980年から開かれているこの会は、最初は日本人教師だけの集まりであったが、台湾からも参加するようになり、やがて5年に1度は台湾で開催されるようになった。開校104周年目に当たる平成11年の大会は、佐賀で開催され70名程が集まった。幹事を務めた北島文子さんは次のように語る。

「私は昭和9年生まれで士林小学校で学びましたが、教員ではありませんでした。教員をしていたのは父です。参加者も二世が中心になりました。先生方も高齢なので自分で主催することはなかなか難しいのですが、二世が主催するなら参加したい、という人も多いです」

寝たきりでドクターストップがかかった人も、倒れて言葉が不明瞭になった人も、士林会の開かれる日を目指して一所懸命リハビリをし、当日は元気に参加することができるという。

「士林会が近づくと元気になる方は多いです。台湾から杖をついて参加する方もおられます。それに、私たちも楽しいですよ。学校の周りに官舎があって、そこに教員の家族は住んでいたので、二世も遊び仲間です。だから、二世同士が集まっても楽しいんです」

会に集まって来るのは純粋な二世ばかりではない。士林小学校とは全く関係のない北島さんのご主人や、弟のお嫁さんも参加されているし、六士先生の係累の方や台湾関係の研究者も参加している。二世三世を加えた全く新しい形での日本・台湾の交流が始まっているのである。

新しい形で、日本と台湾の友好を深めている人は他にもいる。 以前の号で触れた海交会(旧日本海軍の戦友会)の揚俊城さんは、若い世代に日本精神を伝えることに心を砕いている。

「私は、息子が小さい頃には教育勅語の精神を教えてきました。最初は学校の先生の話と違うと戸惑っていましたが、今は私の方を正しいと信じています。
また、私は豊原の青年商会(青年会議所)の会長をしていましたが、商会のOBが集まった時には、何故日本精神が必要であるのか、という話をします。シオノギ、大正製薬、松下電器、ソニー等が何故今まで続いているのか、皆関心があります。それは、信用、時間を守る、約束を守る日本精神があるからだと説明すれば皆納得します。中国の会社は、騙してお金を儲けても信用がないのですぐ倒れるのです。だから、私は日本の青年会議所と台湾の青年会議所の橋渡しもたくさんやっています」

また、前出の陳さんが主宰する「友愛グループ」という、日本語を研究する台湾人グループがあり、戦後世代の台湾人も参加している。陳水扁新総統の自伝『台湾之子』を日本語に翻訳する際にはここのメンバーが大活躍した。このクループには短歌の会や俳句の会まである。 和歌の会の名称は「台北歌壇」という。かつてここを代表された故暮建堂さんは、外国人でありながら宮中の歌会始にも招待されたことのある人だが、次のような和歌を遺している。

萬葉の流れこの地に留めむと命の限り短歌詠みゆかむ

この和歌は、当社の『平成新選百人一首』(宇野精一/編)に収録されている。 三千年の日本歴史の中から、僅か百首を選ぶ過程においては議論百出。その作業は困難を極めた。しかし、日本人としての教育を受けながらある日突然日本人ではなくなった呉さんの和歌を、百首中の一首とすることに、編纂委員は一人も異論を挟まなかった。
戦後台湾人の味わった「悲哀」もまた、我々が決して忘れてはならない日本歴史のひとこまなのである。(終)

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