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台湾独立の胎動(2)

台湾製「大日本帝国軍隊」の復活

国府軍の暴虐に対して、台湾人は終に武器を取って起ち上がった。前出の葉子成氏も決起に加わったという。

「放送局を占拠して、元日本軍人を招集しました。かつての軍人たちは所属していた部隊に関係なく集まりました。陸軍、海軍もバラバラに集まって来ました。
集まって来た人は、日本軍の軍服が国府(中華民国国民政府)側の倉庫にあったので、みんなでこれを奪い取って着て軍人に返りました。武器もありましたよ。終戦2年後にして大日本帝国軍人の復活、大日本帝国軍隊の復興ですよ。高砂義勇隊も山から降りて来ました。嘉義や台中では高砂義勇隊が出て戦いました」

「国府側の部隊約100名が、台中市内の文化会館に立て籠もって、なかなかこれを制圧できないでいたんです。ラバウルから帰ってきた戦友が戦後は消防隊にいましたが、彼がガソリンを消防車に入れて、“ガソリンをかけるぞ”と言って脅しました。この時、高砂部隊も手伝いに来ていて、ガソリンをかけた後に火矢で撃つことになっていました。国府側は恐れをなして武器を置いて全員投降しました」

このようにして、台湾側は、次々と国府軍を制圧し投降させていった、という。
続けて葉氏は述べる。

「兄が台東の測候所に務めていたんですが、測候所には電信機があるんで、これで各地に連絡しました。電信で受けた各地の情報を、ビラに書いて街々に貼る。そうするとみんながやる気になります。嘉義も勝った、台北も勝った、台中も勝った、高雄も勝った、と喜びました」

台湾の人々の決起によって、国府側の支配地域は次第に狭められていった。司馬遼太郎氏の言葉を借りれば、正に「台湾人による台湾が始まりそうな勢い」であった。

しかし、やがて国府側の反撃が始まる。陳儀行政長官は、台湾側に妥協をするようなポーズを取り時間稼ぎをしながら、大陸の蒋介石総統へ援軍を依頼していたのである。
精鋭の中国陸軍第21師団と憲兵第四団が高雄と基隆へ同時に上陸すると、陳儀の軍隊も一斉に反撃を開始した。これには、さしもの台湾製「大日本帝国軍」も苦戦が予想された。葉子成氏は言う。

「武器がだめなんです。(終戦から)2年も手入れをしていないと錆びて弾が出ないやつがあるんです。武器がもっといいのがあればもっと戦えたと思います」

黄氏は、それでも戦いを諦めなかった。

「シナの軍隊が基隆へ上陸して、台湾の青年をみんな虐殺をやっていると情報が入ってきました。そこで僕らは軍事会議を開いた。上陸してきたのが陳儀の軍隊と違う、良い軍隊ならば武装を放棄しようと思ったが、情報によるとシナの軍隊はやはりひどい軍隊である。そこで、我々は武装で対抗しなければならない、と言う結論を出しました」

黄氏は、台中で抵抗して台湾人の死者が出るのを避けるため、埔里山へ入り中華民国軍を迎撃する作戦に出た。既に、黄氏の率いた40名以外は解散して民衆に紛れている。        結局、黄氏の部隊は、中華民国の第21師団700名の部隊を相手に、山や谷や桟橋で実に22日間にも亙って激戦を繰り広げ、最後は再起を期して解散した。黄氏は数年間、逃亡生活を続けたが終に捕らえられ、24年間に亙って投獄された。

台湾独立を見捨ててはならない

葉子成氏は言う。

「日本へも放送で援軍を呼びかけたのですが、日本軍はとうとう来ませんでした。今思えば、日本も占領されて大変な時期だったので仕方のないことだと思います」

その放送の電波が、果たして日本まで届いたかどうか、知らない。しかし、日本軍の来援を信じ、優勢な国府軍と戦い、殲滅されていった台湾人部隊があったことは歴史上の事実である。そして、仕方がないこととはいえ、日本はこれを見捨ててしまったのである。  黄氏は、こぶしを握りながらこう述べられた。

「日本の訓練においては、困苦欠乏に耐えて後初めて戦闘というのがあります。だから24年間相当な虐待を受けても、そのときの訓練を思い出して最後まで耐えられました。
今も昔の日本精神を持って台湾の独立運動をやっています。台湾は日本の補給線、バシー海峡を保護しています。僕らが生きている間は日本とは兄弟ですよ。万一中華人民共和国に台湾が取られたら、東亜の和平への妨害は非常に大きいです。
日本にお願いしたい点は、台湾の独立を応援してほしいことです。今度台湾の大統領(陳水扁総統のこと)が出ましたから、将来も固く兄弟として結んでアジアの平和のためにがんばっていきましょう」

台湾で、独立を望む人々の声は、日本のマスコミで報じられる以上に大きい。そして、彼らは日本の支援を強く求めているのである。しかも、日本への期待は「日本精神」を持つと自負される65歳以上の方が特に強い。この方々がいらっしゃる今こそは、ある意味、台湾との友好を確たるものにするための、本当に最後のチャンスであるのかもしれない。
今度こそ、日本は台湾を決して見捨ててはならない。