私は、平成十三年暮に第三代の日本会議会長に就任し、同二十七年四月退任するまで十三年余り、会長を務めさせていただきました。この間、ご依頼をいただいて講演をさせていただきましたし、色々な会合で挨拶や所感を述べさせていただき、また諸先生との対談の機会も与えていただきました。会長を退くころ、関係の方々からこれらの中から主なものを取り纏めて刊行したらどうかとのお勧めをいただきましたが、諸般の事情から躊躇してきました。
そうこうするうち、今年、日本会議設立二十周年を迎えるに当たり、再度お勧めをいただくに至りました。振り返ってみますと、日本会議二十年の歴史の中で、私はその半分以上の期間会長を務めさせていただいたのでありまして、その間における私の発言は、この間の日本会議の活動を語っている面もあるかと存じます。そうであるとすれば、これらを単行本という形で残しておくのも、必ずしも無意味なことではないと思うに至りました。
と同時に、このような刊行をすることで、少しでも多くの皆様に、我が国のあり方や我が国が抱える諸課題などについての私の想いをご理解いただくことができるならば、これに過ぎるものはないとも考え、刊行を決意した次第です。
取り纏めるにあたっては、できるだけ重複を避けるべく、取捨しようとしました。しかし、機会が異なっても同じことを申し述べていることが極めて多く、また、その折その折の私の想いは、全体としてご理解いただきたいとの気持ちから、ひとつの機会での発言は、その一部を抜き出して収録することをしないで、その全体をそのまま収録することとしましたので、かなり重複が多くなっております。重複しているところは、私が常々そのことを強調してきたということでご了解いただければと存じます。
収録したものの大部分は、日本会議に関係してのものでありますが、一部それ以外のものも収録してあります。
もとより才に乏しく、しかも勉強を怠ってきた私でありますから、私の想いの中には、未熟の謗りを免れないところもあろうかと存じます。しかし、私は、講演はもとより、挨拶や所感などを申し述べるに当たっても、また対談で発言するに当たっても、他の方々の手をお借りすることは全くせず、すべて最初から自分で構想を練り、発言すべきことを稿に纏めることを致してまいりました。したがって、申し述べられていることはすべて私の本音である、とご理解いただきたく存じます。
ちょっと付言させていただきます。
近時、「レッテル貼り」が横行していますが、私にも「右」、「好戦的」のレッテルが貼られているようであります。昨年十二月、我が国の斯界を代表すると自負する某大新聞は、裁判官時代の三好を知るという元最高裁判事である弁護士の言葉として、「軍隊経験者で戦後、反戦に向かった人と、ますます好戦的になった人がいるとすれば、三好さんは後者。裁判官になる人は保守傾向が強いと私は思うが、あの人ほど、ずっと右側を維持した裁判官も珍しい」と記述していました。
右か左かについては、左の立場の人たちから見れば、その人たちの立場に同調しない者は、すべて「右側」に見えるのは仕方がないことでありますから、それらの人たちから「右側」と言われても、さして驚くには値しません。しかしながら、私を「好戦的」と評しているのには驚きました。私は、国家間に紛争があれば、武力をもって解決すべきであるなどと主張したことは、一度もないし、そのようなことを考えたこともないからであります。他国の侵攻を未然に抑止し、他国から侵攻があったとき国民と国土を護るために、自衛軍(防衛軍)が必要であると申し述べてきているだけであります。これを以て「好戦的」というならば、軍隊を保有している世界の国々は、すべて「好戦的」ということになってしまうではありませんか。正に噴飯ものの「レッテル貼り」であります。
更に、この記述は、続けて、三好の思想を表す判決があるとして、いわゆる「愛媛玉串料訴訟」の上告審判決の反対意見の中で、私が「国や自治体の長が戦没者を手厚く追悼するのは当然の礼儀、道義上の義務」「戦没者すべての御霊を象徴するものは靖國神社以外に存在しない」と述べたことを指摘しています。文言に多少異なるところはあるにしても、私がこのような趣旨を述べていることは間違いありません。この指摘は、これによって、私の思想が偏向していることを示そうとしているかと窺われます。
しかし、私は同時に、同じくだりの中で、「(祖国や父母、妻子、同胞等を守るために一命を捧げた戦没者の)追悼、慰霊は、祖国や世界の平和を祈念し、また、配偶者や肉親を失った遺族を慰めることでもあり、宗教、宗派あるいは民族、国家を超えた人間自然の普遍的な情感である」「諸外国の実情をみても、各国の法令上の差異や、宗教と国家とのかかわり方の差異などにかかわらず、国が自ら追悼、慰霊のための行事を行い、あるいは、国を代表する者その他公的立場に立つ者が民間団体の行なうこれらの行事に公的資格において参列するなど、戦没者の追悼、慰霊を公的に行う多数の例が存在する」「追悼、慰霊を行なうべきことは、戦没者が国に殉じた当時における国としての政策が、長い歴史からみて正であったか邪であったか、当を得ていたか否かとはかかわりのないこと」などと述べているのですが、この私の意見については一顧だにしていません。このような私の意見に触れては、世界の多くの民族、国民、為政者も、私と同じような偏向した思想の持主ということになってしまうからでありましょうか。
このような「レッテル貼り」などをそのまま鵜呑みにしてしまう方々は、そんなに多くはないとは存じますが、本書を読んでいただく方々には、どうぞ妙な先入観を持たないで読んでいただき、私の想うところをご理解いただければ幸いと存じ、ひと言付け加えさせていただいた次第です。
小堀桂一郎先生には、終始ご懇篤なご指導をいただいてまいりました。その小堀先生に「刊行に寄せて」のご執筆をお願い致しましたところ、ご繁忙にもかかわりませずご快諾を賜り、身に余るお言葉を頂戴し、まことに光栄に存じております。衷心より御礼を申し上げます。
平成二十九年十月三十一日(満九十歳誕生日)
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