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「占領軍の歴史洗脳」を剔抉した労作

「占領軍の歴史洗脳」を剔抉した労作

松浦 光修 皇學館大学助教授

中共や韓国の歴史教科書が、何しろヒドイといふことは、今でこそ広く知られ、マスコミでも論じられるやうになったが、ほんの数年前までは、両国の歴史教科書に対する本格的な検討などは、ほとんど誰も手をつけない(手をつけえない)分野であった。そのタブーを、着実な調査と、勇気ある言論で打破した書物こそ、平成13年に出版された勝岡寛次氏の『韓国・中国「歴史教科書」を徹底批判する』(小学館文庫)である。時あたかも、前回の中学の教科書採択戦の緊迫した時期だったこともあり、あの時の、その書の与へた衝撃を、今も鮮烈に記憶する方は少なくあるまい。そのころ、はじめて著者の名を知ったといふ方も多いのではなからうか。

しかし、著者は、それを6年もさかのぼる平成7年1月から、『祖国と青年』誌で、「抹殺された『大東亜戦争』」といふ連載を開始してゐる。その連載は、つひには足かけ5年もの長きにわたり、平成11年8月、55回で完結した。本書は、その連載をまとめたものであるが、残念ながら、そのすべてが収録されてゐるわけではない。「一冊の本にするには余りに分量が多過ぎて…最終的には15回分もの連載を已むなくカット」せざるをえなかったから…である。

それでも本書は、400頁を超える大著となった。私としては、連載時に感心して読んだ章が収められてゐないこともあり、それらの章を中心とする続編の出版を期待してやまないが、それはそれとして、その連載を、大東亜戦争の戦闘終結より60年といふ記念すべき年に、かうして、まとめて読むことができるやうになったことは、何といってもありがたいことである。なぜなら、首相の靖國神社参拝や歴史教科書にまつはる騒ぎに象徴される、今日もつづく“歪んだ思想空間”の“出生の秘密”が、本書には、容赦なく剔抉されてゐるからである。

本書に満載された“占領軍の歴史洗脳”に対する先人たちの抵抗の足跡を、一つひとつたどっていくことにより、私たちは、内なる「閉ざされた言語空間」の扉の鍵を、一つづつ確実に開けていけるにちがひない。

それにしても、本書の基礎資料であるプランゲ文庫所蔵の占領軍の検閲資料中の雑誌は、13000種にものぼるといふ。それを、よくもこれだけ詳細に調査・整理したものだと思ふ。さらに驚かされるのは著者が、占領軍の実態をあばきながら、同時に「それでは、真実はどうだったのか?」といふ個々のさまざまな“問”に対しても、なんと戦国時代までさかのぼり、それぞれに正確な“答”を提示してゐることである。これも著者の博識の然らしめるところであらうが、事ここにいたっては、もう“離れ業”と言ふしかない。

なぜ著者は、かくも労多い難事を、見事に成し遂げることができたのであらうか?著者は、かう記してゐる。「死屍累々たるその思想的残骸を、60年後の今日、かうして一つ一つ丹念に拾ひ上げてゐるのも、徒に懐旧の情に耽らんがためではない。東京裁判では一敗地に塗れた思想戦を、私ども戦後世代の手でもう一度やり直さんがために他ならない」。かうして著者は、本書を通じて独力で、東京裁判の「再審」をおこなったのである。

きはめて平静な本書の叙述の底には、「祖国の正史を恢弘」しようとする不屈の闘志が燃え、それが強靭な知性の刃を鍛へあげてゐる。その刃があればこそ、著者は、中共や韓国に対してさへ怯まず、冒頭の一書を、あの緊迫した時期に世に送り出しえたのであらう。

本書の「再審」の結果が確定するか否か? それは本書で「恢弘」された史実を、どれだけ多くの人が共有するか……にかかってゐる。「忘れさせられたこと」を思ひ出し、日本人が“正気”に戻るため、本書が広く読まれることを願ってやまない。

※平成17年9月26日付「神社新報」第2806号より許諾転載

『抹殺された大東亜戦争―米軍占領下の検閲が歪めたもの』