日本の歴史・伝統文化など「日本人の誇り」をよみがえらせる書籍の出版をしています

竹本忠雄 アメリカ人への手紙

1997年7月にアメリカで出版されたアイリス・チャンの『南京のレイプ』の主張と、それに煽動された反日キャンペーンの渦が、我々日本人に掻き立てた反応は、きわめて抑制した表現をもって述ベるならば、ざっとそのようである。

最初から政治目的をもって始まった扇動なるがゆえに、単なる読書界の出来事をもって終わらない政治事件へと、仕掛けたとおりに事は発展していった。「周辺議員に働きかけよう」との同書著者のアピールと、「日独同罪論」を唱える諸団体とが結びついて、1999年8月23日、カリフォルニア州議会が日本軍の「残忍非道な罪」に対して非を鳴らし、謝罪と賠償の決議を下すまで、黒雲を巻いた毒竜が我が列島に火焔を吹きかけるまで、まさに一濁千里の勢いだった。

これら諸団体は、「日本の戦争犯罪を蒸し返し、改めて日本政府に謝罪と補償を求める」目的で、1980年代後半から続々と中国系アメリカ人によって結成されたことをもって一大特徴とする。今回、カリフォルニア州議会の決定に影響をあたえた《アジア地区第二次世界大戦史擁護世界同盟》なる団体も、同州に基盤を置いてアイリス・チャンを支援する中国系反日組織連合体に他ならないものである。

かたわら、こうした風潮に勢いづけられて、米国人の元捕虜たちが、まことに信じがたいことに、「日本はナチス・ドイツの同盟国だった」という理由を楯に、戦時下、彼らに強制労働させたという在米日系企業を提訴する動きを見せ始めた。この動きは1999年に入ってから加速化し、ロス・アンゼルス、ミネソタ、ニュージャージー州などが相継いで告発の趣旨を立法化した。いまやこれは全米的な集団提訴の観を呈し、その賠償請求額は、実に一兆ドルにも昇ると噂されるまでに至った。

しかし、良識ある西欧人なら、こうした雪崩現象を見て、どこか胡散臭いとは感じないだろうか。「アンチ・セミチズム」という言葉があるように、そこには、どこか、「アンチ・ヤマトイズム」とでもいうべき反日主義の原理が働いていはしないであろうか。そして更に、戦後日本の歴史を幾分かでも知る人なら、このような疑問にとらわれないであろうか。

《日本は、これら抗議者の主張とは反対に、戦後補償を立泥にやってきたではないか。そもそも1951年のサンフランシスコ講和条約をもって補償問題は決着がついていたのではなかったのか。
ナチスなみのホロコーストによる「人道上の罪」というが、東京裁判でさえ、ニュールンベルグ裁判と違って、この罪名をもっては刑囚を裁くことができず、通常の戦争犯罪を通用するに留まったではないか。それでも日本人は、ただ敗者というだけで、一片の抗弁も認められず、「A級戦犯」7人を含む1100人ばかりの同胞将兵が戦争犯罪人として処刑される光景を見ることに耐えたのだ…》

いや、ホロコーストはあった、それが南京なのだ、との声が、それでも挙がるであろう。  本書は、「五月蝿(さばえ)なす」と我々が古語にいうところの、かかる淫声に向かって書かれた反論にほかならない。その手法とは、いわば、ミステリー・ノベルのそれである。「殺し」の数にかかわらず、かりに「南京」とは一つの殺人事件だったと見立てて、読者自身、推理してみては如何であろうか。

大量殺人があった、と主張する原告がいる。中国大陸から日本人を指さして、犯人だという。1917年12月の事変以来、ずっとそう言い続けている。
1940年、東京裁判によって責任者の松井石根司令官を捕えて絞首刑に処した。が、50年たって、再告発してきた。殺人数も、その間に、1万2千人の「小虐殺派」から、4万2千人の「拡大派」をへて、いや、10万以上、20万以上だと、そのたびに猫の目のように変わる「大虐殺派」の主張へと水増しされてきた。ついには「30万は政治決定だ」と堂々たる(!)託宣をもって、1985年、南京大屠殺記念館が建てられ、入口に「遭難者300000」と大書されるに至るまで…。

かくして、人類史上、アウシュヴィッツで初めて使われた「ホロコースト」の文字が当てはめられるまでに至る。なんと、60年さかのぼって、である!「忘れられていたホロコースト」と言うのだ!
こんな歴史的大事件が、殺人数もころころ変わり-10万人単位でだ-しかも「忘れられていた」とは!