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特攻の魁 関大尉に魅せられて

特攻の魁  関大尉に魅せられて

【インタビュ―】
中城まさお 劇作家・俳優

「関大尉を知っていますか」

―一人語り公演「散れ山桜―神風特別攻撃隊隊長関行男二十三年の生涯」(のちに「靖國で会おう」に改題・平成15年9月28日、東京・赤坂)はなかなか盛会でしたが、反響はいかがでしたか。

中城 お蔭さまで、いつにも増してアンケートが多く返ってきましてね。特攻というテーマが重過ぎるという受け取り方をされるのではないかと心配していましたが、芝居として観てとてもよかったという意見が多くて安心しました。なかに学校の先生もいらして子供たちにぜひ観劇の機会を、と書いてくださっていたのは特に嬉しかったです。

―中城さんは学校公演を多くなさっておられるのですね。

中城 これまで七千数百回舞台をやっていますが、そのうち八割くらいは学校関係です。年に二百回のときもありました。演目は、例えば、小学校では私の書いた海賊船のお芝居。中学・高校はドン・キホーテなどをよくやりました。

―今回は神風特別攻撃隊の魁、関大尉の物語ですが、そもそも関大尉を取り上げられた経緯は?

中城 関大尉との最初の“出会い”は、中学一年のときですね。「忠烈万世に燦たり」云々という見出しが新聞に躍って、それを見た我々「少年」は皆感動したんですよ。私も興奮して、学校でもその話題でもちきりでした。そして「早く行かないと戦争が終わっちゃう」と、お国のために一日でも早く兵隊に行くことを夢見ていましたね。

そういう記憶は、戦後久しく忘れていたんですが、数年前にカナダの女性ジャネット・デルポートさんが書いた『関大尉を知っていますか』という本に出会いました。彼女は禅の修業のため日本とカナダを往復している間に関大尉の霊が乗り移ってしまったという人なんですが、その本を手にしたとき、少年時代の記憶がパーっと蘇りまして、「ああ、関大尉は、それくらいインパクトのある方だったんだ、たまたま白羽の矢が立って最初の特攻隊隊長として歴史に名を留めたというのではなく、後世の人間に乗り移るほど強い魂の方だったんだ」と思ったのです。

 

意志の人、関大尉

中城まさお

一人語り「靖國で会おう」を演じる中城まさお氏(撮影:松原寛)

中城 その後、関大尉と敷島隊隊員の半生を描いた森史朗氏の『敷島隊の五人』を読んで、これを原作としてシナリオを書き上げ、その映画化のために奔走しています。ところが、映画化というのはなかなか容易には進まない。これでは埒があかない。そこで、まずは一人芝居を思い立ったというわけです。今までで一番稽古した甲斐あって、「中城のこれまでの芝居の中で一番良かった」というアンケート回答がありました(笑)。

―最後の突入時の詳細な描写には驚きました。大分取材もなさったのですか。

中城 軍隊の組織や用語など、旧軍関係者に確認してもらったり、関大尉の故郷の西条市にも取材に行きました。その方々の何人かは観にいらしていて、「よくできていた」と言っていただき幸いでした。例えば、一人称の呼称を「自分」というのは陸軍で、海軍は「私」だったということなど初めて知りました。

―関大尉の魅力とは?

中城 意志の強い人でした。それを証明するのが、まさに出撃のときですね。彼はなんと四回目にして突入に成功するんです。それまでは敵艦が見つからず三度までむなしく帰還せざるをえなかった。
一度死を決めてそれが果たせなかったときのショックははかり知れないものです。そこからまた気持ちを持ち直して次を待つつらさというのは尋常ではないでしょうね。捨てたはずの浮世との葛藤も再び起こってきたかもしれない。それを彼は三度までも振り切って行った。しかも体力的には、熱帯特有の下痢に罹り、食事もほとんど喉を通らないほどの状態だったんです。すごい精神力です。そして、見事、敷島隊は空母一隻撃沈などを含む戦果を上げたのです。

武士道の精華

―さらに関大尉は新婚三ヶ月の新妻と、母一人子一人の老いた母への思いを断ち切らねばならなかった。その決意を支えたものは…。

中城 武士道だと思います。特攻の産みの親とされる大西瀧次郎中将は、特攻作戦を「統率の外道」と自ら言っていますが、そこまで追い込まれた祖国の極限状況から彼は逃げなかった。国を救うために男子の責任を果たし、自らを犠牲にした。話は少し飛びますが、アメリカでの同時多発テロを「神風の再来」として、特攻隊とテロを同一視する論が海外紙に踊りましたが、言語同断です。自らの目的達成のために一般市民を巻き込むなど、わが特攻隊にはありえない。

武士道こそは、日本民族独自の哲学であり、かつ世界最高の道徳です。新渡戸稲造の『武士道―日本の魂』はそれを世界に闡明にした歴史的書物です。しかも西洋の騎士道が騎士という一部の階級の道徳に留まったのに比して、日本の武士道の道徳は、武士階級だけではなく町民、百姓にもあこがれとして浸透していた。明治以降はいうまでもないことです。まさに「日本の魂」であり、日本人全体の精神的バックボーンでした。恥を知ること、嘘をつかないこと、礼節…など、影は少し薄くなったとはいえ、日本人の底流には今でも残っているのではないでしょうか。

―関大尉はその精華の一人ですね。

中城 彼は「五省」が好きでした。

―海軍兵学校の精神的支柱として生徒たちが暗誦していた教えですね。舞台公演でも出てきました。

中城 ええ、彼も兵学校出身ですからね。
日本の文芸的センスは短い文章に凝縮する。俳句であり和歌であり、あるいは政治的なものでも五箇条の御誓文とか、坂本龍馬の船中八策とかみんな簡潔で美しい。それに比べると、今の憲法は実に悪文で長たらしくて、私は一刻も早く無効にしてほしいと思っていますが…。話がそれましたが、関大尉は、故郷に帰ったときも友達や後輩に聞かせるほど、この五省に入れ込んでいたようです。