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台湾独立の胎動(1)

台湾独立の胎動(1)

「新台湾と日本」取材班

「以徳報怨」と「台湾人の悲哀」

当社では、世界で最も親日的な国と言われている台湾(中華民国)の様子を記録に留め、将来の日台友好を促進すべく、映画『新台湾と日本』の制作を決定した。
平成12年6月末より現地を訪れ、中華民国の新総統陳水扁氏、前総統李登輝氏への単独インタビュー等、約1カ月間台湾各地の取材を行ったが、未だ日本人が余り知ることのなかった台湾の現実を数多く知ることができた。

まず我々が、台湾を語る上で知らなければならないと感じられたのは、「台湾人の悲哀」についてである。この言葉は、平成12年7月20日、淡水にあるオフィスで行われた李登輝前総統のインタビューの冒頭で最も力を込めて使われた言葉でもあった。李登輝氏は、12年間の総統時代を振り返り次のように述べられた。

「司馬遼太郎さんが、1993〜94年に台湾に来られました。いろんなことを話しましたが、“場所の悲哀”、“台湾人に生まれた悲哀”というようなことを言っておられました。
しかし、(私の在任中の)この12年間に、台湾の人々は自分の国は自分で治めるんだ、外来の政権に治められるのではなくて、自分で自分のことはやろうじゃないか、という“台湾人の幸福”を覚えるようになったと思います」

司馬遼太郎氏の「街道をゆく」シリーズの40番目に『台湾紀行』という本がある。その中で司馬氏が、李登輝総統と対談している一章があるが、そのテーマが「場所の悲哀」である。戦後台湾の歴史を知らない日本人にとって「場所の悲哀」、「台湾人に生まれた悲哀」との言葉はなかなか実感がわかない。しかし、この言葉こそは、台湾問題を理解する上で最も基本的かつ重要なキーワードなのである。

蒋介石総統の「以徳報怨」

台湾(中華民国)は、鹿児島から約1000㎞、沖縄の西南端の与那国島からは僅か80㎞。その面積は3万6千平方㎞で、日本の九州よりやや小さい。気温は高温多湿の亜熱帯。人口は2250万人である。近年、経済的な躍進は目覚ましく、1人当たりのGNPは1万ドルを超え、外貨準備高も現在世界第3位である。中華民国は、今や「中進国」から「先進国」への仲間入りを果たしつつあると言えよう。

戦後の日本でこの国のことが話題になるのは、大抵蒋介石総統への「恩義」の問題についてであった。

日本が戦争に敗れた時、中国大陸には尚百万人を超える日本軍(支那派遣軍)が残されていた。その際、中華民国の蒋介石総統は、重慶からのラジオ放送で、「旧悪を思わず人に善をなす」(『論語』の一説)と訴え、日本軍の復員を迅速に行ってくれたというのである。
満州でソ連軍が、日本兵を片っ端から捕らえて、極寒のシベリアへ送り、何年も強制労働や思想改造を行ったことと比較するならば、蒋介石の措置は余りにも寛大であると思われた。 このため、戦後の日本では、蒋介石の斯かる行為を「以徳報怨」(徳ヲ以テ怨ミニ報イル)といって称賛し、蒋介石の銅像や記念碑(註1)をあちこちに建てた。

その後、蒋介石の国民党は毛沢東の共産党との内戦に敗れて、台湾へ追い落とされた。共産党側は大陸に中華人民共和国を新たに建国し、蒋介石を追撃すべく「台湾解放」を唱えた。一方、国民党側は「大陸反攻」をスローガンに台湾全島を要塞化、台湾海峡を挟んで大陸との「内戦」状態が最近まで続いてきたのであった。実に、四十余年もの間中国大陸の領有を主張する二つの政府が存在し続けたのである。

当然、日本にはどちらを正当な中国政府と認めるかという課題が突き付けられた。日本政府は、当初台湾の中華民国政府と国交を結んでいた。しかし、1972年9月29日に田中角栄内閣は大陸の中華人民共和国を承認し、同時に中華民国との正式な国交は途絶えた。このため、今でも台湾問題といえば、蒋介石総統への「忘恩」の話として語られることが多いのである。

(註1)蒋介石総統の銅像は、神奈川県足柄下郡箱根町等に、記念碑は千葉県夷隅郡岬町の「以徳報怨之碑」、群馬県前橋市の「謝謝重恩之碑」等がある。