台湾独立の胎動(5)

台湾独立の胎動(5) ―日本時代を語り継ぐ人々―

台湾では、日本時代のことを今も語り続ける多くの人々と出会った。ある人は日本精神を滔々と語り、ある人は戦後の台湾人の悲哀を訥々と語った。

二二八記念館の日本語ボランティア

台北市の中心にある二二八平和記念公園(旧台北新公園)には、現在の陳水扁総統が、台北市長であった1997年に開館した二二八記念館がある。そこに取材に訪れた我々を日本人と見て、日本語で話しかけてきた人がいた。ボランティアとして働く蕭さんである。蕭さん自身も二二八事件の体験を持つ。

「最初は、10人くらいの人がむしろ旗を立ててデモをしたところから始まったんです。本当に小さな抗議のデモだったんです。私はインパール作戦に従軍して終戦で復員したばかりでしたから、血気にはやってすぐに参加しました。次々に人々が加わってデモはどんどん大きくなりました。そして、専売局総局へ抗議に行く途中で、デモ隊は放送局を占拠して放送したので、事件はたちまち台湾全土へと広がったのです」

実は、このデモ隊が占拠した放送局の建物が現在の二二八記念館となっている。記念館には、日本人の来館を予想してか、蕭さんの他にも、戦後生まれとおぼしき日本語ができる案内員が待機していて、我々の相手をしてくれた。また、館内の展示を開設する日本語テープとイヤホンの付いた携帯式の録音再生機が有料で貸し出されている。
受付を済ませて中の展示を見ようとすると、後ろで「教育勅語」の一節を読む声が聞こえた。蕭さんの声である。

「昔はみんな覚えさせられたものなんだ。大変だったんだから」
と大声で、若い方の案内員(台湾人)にわざわざ日本語で話しかけている。その大きな声は、我々日本人の関心をひこうと思ってのことであろうか。若い台湾人には理解できない何かを、日本人にわかってもらいたいように感じた。

記念館の展示は、日本の統治によって、司法機構、警察機構、戸籍制度、農会系統、金融財経体系統の各級政府が樹立され、初等教育の普及、大規模な感慨系統、公路、鉄道交通、電力及び輸送系統が建設される等、日本統治を比較的公平に評価していた。続く展示では、先の大戦に台湾人も日本軍人軍属として従軍し、大きな犠牲を被ったことが展示され、日本に対してかなり批判的な内容になっている。

さらにその後に続く中国国民党の政治については、その何十倍ものスペースを使って、二二八事件における台湾人への無差別な殺戮や、その後の白色テロを用いた支配弾圧への厳しい批判が展開されていた。第二次大戦の被害がまるで霞んでしまうかのような凄まじい内容である。二二八事件の犠牲者は、インテリが多かったので、その遺影は日本時代の旧制高校の制服姿も多い。一枚一枚の写真や犠牲者の遺品から、台湾人の「悲哀」のようなものが感じられる。 白色テロ時代の展示のコーナーで、蕭さんは、

「実は、私の弟も白色テロで死にました。何も政治活動はしていません。国民党に批判的な勉強会に出ただけで、捕まって銃殺されたんです。1953年のことです。死体は三日野ざらしにされました」

と述べ、悲しい顔をされた。 二二八事件も白色テロも、日本が戦後、台湾住民の意思とは無関係に台湾人の運命を中華民国国民政府へ委ねたことにその源を発している。いわば、責任の半分は日本にもある。だからと言って、決して日本人に何をどうしてほしいわけではない。ただ、戦後の台湾人の辿った運命を、せめて日本人にはわかってほしい。蕭さんは何も語らないが、そのような思いでここにボランティアとして立ち、日本人の来館を待ち続けているように思えた。