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『目覚めよ日本 憲法改正今こそ実現を』まえがき

田久保  忠衛

憲法改正の絶好の機会が到来している。同じ考えを持つ友人は「この機を逃したら二度とチャンスは巡ってこない」と心配するが、何となく呑気な響きがする。国体を尊重するでなく、伝統ある歴史に誇りを持たず、国の防衛などは平気で他国に頼り、個人の利益追求だけには異常に執着する、無気力な日本が今後も続くのではないかとの不安が私には募っている。

先頃産経新聞から「戦後七十二年に思う」のテーマで一文を書くようにとの要請を受けた時に、「戦争が終わって七十二年たった今の国際情勢がこのようになると予想した向きはいただろうか」との実感を冒頭に記した。国際秩序の基本がもう動いてしまっているのである。一つは米国である。冷戦の西側陣営の指導国家として米国のトルーマン大統領は自由、民主主義の旗を掲げて颯爽として走っていた。ところが、米国の「内向き」思考はオバマ前政権時に明瞭に表れ、トランプ政権ではさらに孤立主義、保護主義、米国第一主義的傾向が顕著になっている。米国の国力が絶対的に衰退しているとは思わないが、数字に見えない指導力、存在感、イデオロギー的魅力などは相対的に衰退していると言っていいのではないか。

もう一つは中国だ。終戦時の中国は内戦状態にあった。以後、中華人民共和国の誕生、改革・開放路線、「平和的台頭」などを乗り越えてきたのは、共産党一党独裁の体制であればこそ可能だったので、この国が民主主義体制であったら進む速度が遅いのは当然だろう。その中国はいまや一帯一路構想を掲げ、影響力はアジア大陸から欧州大陸へと伸張しつつある。成功するかどうかの予想は別にしてユーラシア大陸で中国が政治的覇権を手にしないと断言できるだろうか。

「外向き」の中国に直面している日本は「内向き」の米国に安全保障を委ねてきた。その意味で戦後最大の危機が訪れている。国際情勢の大変化に対応しようなどとの考えはまるでなく、米国の占領下で与えられた事実上の占領基本法をどうしても護るという護憲論は滑稽ではないか。戦後の国際社会に生じ始めた巨大な地殻変動に対応するにはすでに手遅れになっているとすら思える憲法改正は、われわれが日本人として国際社会で生き延びていくうえでの必要不可欠な手段だ。

一方、国内に目を転ずると、憲法改正に関する、いわゆる安倍発言によって国会における論議にひとまず火はついたように見える。しかし、私だけでなく日本が国際社会に示すケジメの意味でも改憲を長年叫び続けてこられた人々の間にはなんとない不満が漂っている。改憲への燃えるような情熱がまだ盛り上がらず、安倍発言があったからいやいやながら動きを示すような態度がわかってしまう。国際情勢が緊迫の度を強めているにもかかわらず、一部の政治家には精神的な緊張感が欠けている。

歴史的に見て、日本人は海によって四方を囲まれているものの、白村江の戦い、高麗軍を先兵とした元寇、日清、日露の戦争など外敵には敏感に反応し、国難を克服してきた。しかし、問題は日本国憲法だ。たった一度だけわれわれが経験した占領とその際に与えられた憲法によって、日本の対米依頼心はあまりにも強目覚めよ日本 憲法改正今こそ実現をくなってしまった。日本周辺の危機をよそに今年の夏は連日国会で森友学園や加計学園の熱心なやり取りを視聴したが、出るのはため息だけだった。

しかし、憲法と現実のギャップが埋められないのを放置してきた無責任な時代はすでに終わりを告げつつある。「内向き」のトランプ政権は同盟国としてより強い日本を求めている。政治家が動かなければ、われわれが立ち上がろう。国民一般が目覚めたときの政治家の身変わりの速さだけは確実だ。十月二十二日に行われた総選挙で明らかになったのは改憲派と護憲派の区分けだ。が、改憲派の中には九条に正面から取組もうとしない向きも混じっている。だからこそわれわれが先に動かなければならないと思う。本書で示そうとしたのはその思いと覚悟である。

平成二十九年十月

目覚めよ日本 憲法改正今こそ実現を