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エルトゥールル号殉難将兵が結ぶ真心の絆

大使の涙

トルコで約20年間勤務した元外交官の本山昭氏は、トルコ紙の取材に答え、次のように

述べている。(Zaman,2010/7/31)

…この(串本町の)慰霊碑に関して、忘れられない思い出があります。海軍司令官としての任務の後、軍を退いたジェラル・エイジオールが、在京トルコ大使館で大使として勤務することになりました。その頃、私は外務省でトルコを管轄する課の調整官でした。

エルトゥールル号の追悼式典に私も参列しました。エルトゥールル号が沈没した海で、日本の軍艦の上で式典が行われ、式典が終わった後、皆艦の中に入りました。

エイジオール大使は、式典の行われた場所で、銅像のように真っ直ぐ立ちすくんでいました。泣いていました。しばらくしてから、

「“軍人は泣かない”と、いつもおっしゃっていましたよね」と私が声をかけると、

「私は軍人ではなく、大使です」とお答えになりました。

エイジオール大使は、トルコからこんなにも遠い場所に、トルコ人殉職者のために慰霊碑がたてられ、こんなにも思いの込もった式典が行われていることに感動した、とお話になられました。

遠く祖国を離れ異国の海に沈んだトルコ殉難将兵のみたまは、一世紀以上の時を経てなお、親善使節の役割を果たし続けている。それを可能ならしめているのは、両国民のメンタリティであり、世界でも傑出した例といえるだろう。

本山氏は続いて、次のように述べている。

1941年に地中海で沈没したレファー号という船がありました。その事故で167人が亡くなりました。

エイジオール大使は、メルシン(地中海に面したトルコ南部の港町)にも串本町にあるような慰霊碑をたてるよう試みる、と言いました。この慰霊碑をたてるため私たちは一緒に取り組みました。そして日本にある慰霊碑の兄妹がメルシンにたてられたのです。

この意味から、レファー号殉職者慰霊碑と日本にあるエルトゥールル号殉職者慰霊碑は、永遠にトルコと日本の友好関係のシンボルとして残るのです。

メルシンでの慰霊祭

9月2日、こうした経緯で串本町の慰霊碑と同型の慰霊碑のあるトルコのメルシンでも、「エルトゥールル号百二十年慰霊式典」が開催された。街中いたるところに、日の丸や「トルコにおける日本年」旗が飾られた。式典は、アタテュルク公園内の慰霊碑前で厳かに執り行われた。

日本側から、田中駐トルコ大使、海自の徳丸司令官、「かしま」「やまぎり」「さわゆき」3鑑の艦長と乗員、串本町長、和歌山県知事はじめ多くの県民も参加した。

トルコ側からは、文化大臣はじめトルコ軍関係者、エルトゥールル号の特使オスマン・パシャの孫にあたる方や市民など、総勢数百人が集い盛大な式典となった。

式典のほかにも「エルトゥールル号里帰り展」など、数々の記念行事が行われた。